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旧黒澤家住宅


 群馬県教育委員会は昭和43年に県内全域にわたって、各地に残る古い民家建築の調査を実施した。これは最近における都市や農村の近代化、あるいは過疎化によって長く民衆の文化として伝えられてきた住居の様式が急速に破壊され、至急にその状況を調査してそれらの中で重要民家に対して保存などの対策が必要となったからである。
 調査は第一次・第二次・第三次の三段階に分けて3年がかりで実施した。第一次調査では県内一円にわたって280戸がリストアップされ、第二次調査ではこの280戸のうちから、年代の古さ、意匠的優秀さ、保存状況などを基準にして111戸について調査した。第三次調査は、1)文化財建造物としての価値の特に高い民家、2)県内における各系統の民家の代表、3)県内における江戸時代初期・中期・後期の民家の代表として111戸のうち26戸について調査が実施された。そしてこの26戸はA−6戸・B−8戸・C−12戸と格付けされ、Aに格付けされた6戸が昭和45年に重要文化財として国より指定された。
 天正18年(1590)8月、徳川家康の関東入国に伴って、山中領初代代官伊那備前守忠次が慶長3年(1598)検地したとき、山中領を上山郷・中山郷・下山郷の三郷に分けた。黒沢家は代々上山郷の大総代を務めた旧家で、現存する母屋はその規模の大きさ及び座敷の数や玄関の設備の点で、大総代の住居の面影をよく伝えている。
 特に西側に一列に並んでいる「上段の間」「中段の間」「中の間」「休息の間」と呼ばれる4室の各座敷は当初の状況をよく残しており、また31帖半の「ちゃの間」の南側に、村の諸行事に使用された事を物語る立派な「村玄関」と「化粧部屋」があり、さらにその西に代官等を迎える「おしらす」と呼ばれる座敷のついた「式台玄関」があることは、他に例をみない意匠的優秀さを示している。
 「ちゃの間」の周囲には「女部屋」「主人部屋」「客部屋」など家族用の部屋が配置されている。
 床上に対して「だいどこ」はそれほど広くなく、「だいどこ」の奥に板の間の「おかって」と使用人等が利用した「ひろしき」と呼ばれる部屋がある。「だいどこ」の入り口は大戸で、大戸の左に風呂場、右に便所がある。
 二階は全体に広い板の間で養蚕のために使用されたもので、生活に使用された部屋は作られていない。
 旧黒澤家住宅は切妻造りの板葺きの総二階屋で、間取り、構造の両面で、一般の農家と異なった大規模で進んだ様式を持っており、座敷の床、棚等の様式や構造法からみて18世紀中頃の建築と考えられる。

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