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乙父のおひながゆ

 
 子供達によって受け継がれて来た民俗行事である。昭和の初め頃までは他の2、3の集落でも行われていたが現在受け継いで行っているのは乙父だけである。
 「おひながゆ」がいつ頃から始まったのかははっきりしないが、今のお爺さんお婆さんたちも子供の時に行ったというし、それ以前から行われていたと言うから相当昔から受け継がれてきたものに違いない。
 「おひながゆ」の起源は、大昔、川に流され疲れ果て、たどり着いたお姫様を、粥を炊いて介抱したのが始まりであると言い伝えられてきたが、お城の入口を、村の北側の小高いところにある天神様の社に向かって作ったり、天神様の人形を飾ったりするのを見ると、子供達の学力向上祈願の意味も考えられ由来は定かではない。ともかく土地のいろいろな風習や、時代の流れによってその意味が交じり合い、変化して現在の「おひながゆ」になったものと思われる。
 テレビ、ファミコンなど無かった時代には、子供達は、皆で外で遊ぶことが多かった。「おひながゆ」も外の遊びの一つである。寒い冬が終わって3月になると子供達は10人前後の組を作り「おひながゆ」の準備を始める。組ごとに神流川の川原に集まり、協力しあって石を積み上げ、お城と呼ばれる円形の囲いを作る。子供の多かったときは子供達だけで、七つも八つもお城を作ったが、近頃では子供の人数も減ってしまいお城も二つ三つになり、しかも子供会役員に手伝ってもらうようになった。
 月遅れの桃の節句4月3日、夜明けと共にお城に、おひなさま、こたつ、カルタ、トランプ、副食物などを運び込む。おひなさまはお城の一番奥に、対岸の丘にある天神様に向けて飾る。昭和の中頃までは土で作った天神様の座り雛が飾られたが、最近では官女の座り雛なども使われる。
 石でかまどを築き、枯れ木を燃やし、鍋で粥を炊いてお雛様にあげ、子供達も朝食を取る。朝食の後片付けが終わると、カルタ、トランプ、クイズなどで一日お城で仲良く楽しく過ごすのである。

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